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南か北か

キルギス入国後十三日目。ビシュケクに着いてからのぼくの生活は退廃の一途をたどっています。

ウズベキビザやカザフビザの取得はなんとか無事に終えたもののジョギングどころかロシア語の勉強さえほとんど手をつけていない状態で、ドイツ人と夜のビシュケクに繰り出しさんざん酒をあおったり、日本人と朝までわいわいトランプに興じたり、と本来やらなければならない買い物や勉強をほったらかして好き放題に怠惰な生活を送っています。

やらなきゃいけない、けどビールがうまい。
やらなきゃいけない、けどみんなと遊びたい。

そして、そんな葛藤(大敗)を繰り返している折に耳に入ったこの情報。


「イランで日本人旅行者が拉致された」


日本ではもう誰もが知っていることなのかもしれないけれど、イランで日本人旅行者が拘束されたという事件をぼくは昨日ようやく知るに至りました。

いったい被害者の日本人が何者でいったい加害者のイラン人が何者なのか自分には全くわからないけれど、今後イランという国を徒歩で一ヶ月以上旅行しなければならない自分にとってはこのニュースはあまりにも衝撃的で、今後のルート変更を真剣に考えざるを得ない状況に追い込まれました。


このままルート変更せずにカスピ海南部から、

キルギス→カザフスタン→ウズベキスタン→トルクメニスタン→イラン→アルメニア→グルジア→トルコ→ギリシャからヨーロッパへ

と歩くか、カスピ海の北部から、

キルギス→カザフスタン→ウズベキスタン→カザフスタン→ロシア→ウクライナからヨーロッパへ

と歩くか。

あともうひとつカスピ海を船で渡るルートと三つのルートを考えたんですけど、今さら船になんて乗る気にならないので実際考えられるのは上記の二つのルートのどちらか。

しかし新案のカスピ海北部ルートは歩行距離が大幅に増えるうえに無人の砂漠地帯を-2,30℃ちかい寒さのなかで数ヶ月歩き続けないといけないという凍傷覚悟の酷い極地ルート。

当初から予定していたカスピ海南部ルートも大して過酷さは変わらないのだけれど、古くから多くの行商人や旅人が行き交った歴史あるこのルートの方が地形上安全にヨーロッパに抜けれることは間違いなく、途中に大きな町がいくつかあるというのはとても大きい。

カスピ海はやっぱり南部から越えたい。

まあ、とりあえずはどちらのルートを選ぶにしたってカザフスタン南部の中都市シムケントまでは歩かないといけないのでしばらくは拉致事件の行方を気にしつつ今までどおり歩くことにします。


ビシュケクを出発するのは10月14日。ウズベキスタン入国は11月初め。


極寒
砂漠
道路凍結
トルクメニスタントランジットビザ問題
今回のイラン拉致事件

いちいち問題が多すぎてなんだかよくわからないことになってます。とくに最後の方。

どうやらこの中央アジア横断がこの冒険の最大の山場になりそうです。来年の年始を自分はいったいどこで迎えることになるのやら、、、




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<写真>
ビシュケクの中心部にあるスーパー。

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<写真>
オシュバザール。

2007.10.12 (Fri) 21:55
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