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ヒッチハイクをやめた理由

今でこそぼくは徒歩で旅行していますが、もともとぼくはヒッチハイクでどこでも旅行していた人間でした。
親指こそ身体中でもっとも優秀な部位にちがいないとそう思っている人間でした。

そうです、じつはぼく、元ヒッチハイカーだったのです。

そしてそれは人民自転車にまたがってアンコールワットを目指したときよりもずいぶん前の頃で、ヒッチハイクで日本一周したり、メキシコでヒッチハイクしたり、土日を利用して広島に行ったり、とそんなことをしていた時期があったのです。

せっかくなので今回はぼくがそんなにもよくやっていたヒッチハイクをやめてしまった理由を日記に書きたいと思います。

たぶん長くなるけど、ヒマな人はよかったら読んでいってください。



··············



それはたしか2001年の夏。ぼくがヒッチハイクで日本一周していた時です。

京都を離れ、まずは北海道の最北端ちかくにある利尻島の利尻岳の登頂を目指して北上したぼくはその後無事に利尻岳の山頂でサハリンを眼下におさめることに成功しました。

そしてそれには飽きたらず「次は前にも原付で行った屋久島に再び挑戦して、屋久杉だけとはいわず屋久岳を極めよう!!うんそれだ、それしかない!!」とそう奮起して、北海道での旅をそこそこに切り上げ本州に戻るため函館にあるフェリーターミナルに向かうことに。

なぜ函館のフェリーターミナルに向かうことにしたかというと当時は北海道を脱出しようとすると青函トンネルを使って電車で青森に抜けるよりも函館のフェリーターミナルからフェリーで青森に抜けるほうが安くついたのです。

そしてたぶんこれは今でもそうだと思います。


そうして稚内からヒッチハイクで美瑛、富良野、長万部を経由して函館のフェリーターミナルにぼくがたどり着いた時、その時はすでに夜も遅い時間になっていて青森港行きのフェリーの最終便が出てしまっていた後でした。

それはすなわちその晩はこのターミナルで野宿しなければならないということです。

しかし、野宿しなければならないからといって悲嘆する必要など全くなく夏のこの時期のフェリーターミナルという場所は全国からやってきた旅人たちがうようよしているような場所で朝までほとんど退屈することはありません。

ぼくも気がつくとほかの旅人たちとベンチを囲んで旅の話で盛り上がっていました。


それではそのときの函館フェリーターミナル野宿のパーティーを紹介します。メンバーは計3人。


■無一文ヒッチハイカー。40歳。
■北海道に大麻を摘みにきたジャマイカ人。
■21歳の夏の自分。


この無一文ヒッチハイカーの40歳のおっちゃん(大阪人)は本格的に日本を無銭旅行しだしてもう4年になるといいます。

「お金はどうしてはるんですか?」とぼくが尋ねると「他の旅人から金とか服をカンパしてもらって、お金は旅費にするし服は他の旅人に売るねん」とそう言いました。

なんかむちゃくっちゃやなあとぼくはそう思って「え、そんなん働いたらもっと楽に旅できるじゃないですか?」とおっちゃんに言うと「あほか。北海道で働くくらいやったら大阪で働くわ」と言われました。

正直この言葉の意味は今でもよくわかりません。

そしてそんなおっちゃんは会話中に「ちょお、なんか飲むもんおごってえや」と何度も甘えた顔で言ってくるというそれはもう本当に面倒くさい人でした。

ぼくも「いやいや、無理ですって」とずっと断ってたはずなのですが、それでも気がついたらコーヒーをおごっていました。本当に気がついたらコーヒーをおごってしまっていたのです。

完敗です。
じつに巧みでした。



そしてもう一人のジャマイカ人。

彼は日本を旅行中のバックパッカーで北海道には大麻が群生しているとの噂を聞きつけ東京からやってきたといいます。

日本語は少しだけしゃべれるらしく、無一文ヒッチハイカーのおっちゃんも大麻好きな人ということもあって二人してバッツがどうとかリーフがどうとかそんなことをずーっと話していました。

ぼくはそんなことより夜の暗闇の下で不気味に光るジャマイカ人の目がとっても恐かったです。



さて話は変わりますがじつはこの3人全員が翌朝一番の青森港行きのフェリーに乗るわけではありません。

ぼくはもちろん翌朝一番に青森に向かうのですが、ジャマイカ人はついさっきの最終のフェリーで青森から函館にやってきたところで翌日には電車で札幌に行くというのです。

そして無一文ヒッチハイカーのおっちゃんはというと「お金ないからフェリーに乗れへん」と言って「あとどうしても200円足りひん」とぼくを寂しそうな眼で見つめてくるというひどい有り様。

それはもう知らんわとぼくはそう思って、面と向かっておっちゃんの話を聞いていない感じにしているとおっちゃんは仕方なくこのターミナルでもう何泊か野宿を続けることにしたようでした。

ぜんぜん悪いことはしてないはずなのになぜかとてつもない罪悪感を感じました。

これはいったいどういうことでしょうか。



そしてその晩はおっちゃんとヒッチハイクのあるある話に花を咲かせたり、3人でストンプしたりして朝までずっと遊びました。

これは本当に楽しい最高の一夜になりました。

しかしどんな出会いにも当然別れというものがつきものでそんなに楽しい夜もやがて朝がくると別れのときがやってくるのです。

はじめはヒッチハイカーのおっちゃんのそんなディープな旅のスタイルにとまどっていたぼくも一晩たつと不思議とそんなおっちゃんが愛らしく思えるようになってきて、暗闇の中で両目を不気味に光らせていたジャマイカ人も一晩たってみるととっても素敵な人間であることがわかってくるものです。

やっぱり心を開いてお互いが歩み寄れば、年齢も国籍も異文化も超えられるものなのですね。



そしてまずはJR函館駅まで歩くというジャマイカ人とのお別れのとき。

おっちゃんとぼくが二人して「We love Jamaican!」とそう言うとそのジャマイカ人は言いました。

「ごめんなさい。ぼく本当はジャマイカ人ではないです。本当は※※※※人です。」

じつはこのとき彼がナニ人だと告白したかは今となってはまったく覚えていません。

ただその国名を聞いてもなんやねんどこやねんその国、そんな国はじめて聞いたわとそう思ってしまうような国だったのでぼくはとりあえず「へえ、そうかあ、遠いなあ」となんか適当なことを言いました。

おっちゃんは「なんやねんどこやねんその国、そんな国はじめて聞いたわ」とぼくが心に思って我慢したことを全部言っちゃってました。


さようならマリファナマン
あんまり悪いことしすぎて捕まらないようにね



そしてマリファナマンとの感動的な別れが終わると、いよいよぼくもおっちゃんとの別れがやってきました。

別れ際にぼくがおっちゃんが足りないと言っていた200円をカンパしてあげるとおっちゃんは大喜びでぼくに握手してきました。

そして握手しながら、ぼくにこう言ったのです。

「おまえたぶん素質あると思うし、きっとおれみたいな旅人になれると思うわ。だからヒッチハイクずっと続けなあかんで。な?きっとおれみたいになれるし。」

「あ、はい・・・」


このおっちゃんにきっとおれみたいな旅人になれるとそう言われてしまったぼくがもう二度とヒッチハイクなんてやめようと固く決意することになったのは至極当然のことです。

無銭旅行だなんてもっての外です。


2007.04.15 (Sun) 00:43
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