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強盗

ロシアの一部を歩くのは諦めることにしました。

理由は前にも日記に少し書いたように、ロシアの田舎を歩いてたら強盗に襲われてしまい、警察署で数日にわたる尋問、警察から解放された時にはロシアビザ期限内にロシアを歩ききるのが不可能になってしまったからです。

いやもっと言えば、諦めた理由は車に乗った強盗たちの住むあのエリアを歩きなおすのはあまりにも無謀すぎるとそう思ったからです。

この場合、ロシアビザ期限に関してはあまり問題ではないです。
中国だってカザフだって同じ問題に悩まされてきました。再取得すればどうとでもなります。

いや、すいません、これはやっぱりウソです。
中国ビザやカザフビザの再取得とロシアビザの再取得は同じではないです。

日本国外でのロシアビザ取得にどれだけの時間と労力とお金が必要なのか、そのためにどれだけの忍耐を必要としてきたのかを考えると中国やカザフのビザとロシアビザを一緒にはできません。

今回の諦めの判断を下すうえでロシアビザはやっぱり幾らかの比重で諦めの判断材料になりました。


ただ、そんなロシアビザの問題を加味しても、車に乗った強盗に襲われたことの方が今こうしてユーラシア大陸を歩ききることを諦めることになった原因としては大きすぎました。

徒歩旅行者の荷物を全て奪い、道路から離れ草原を逃げまわるぼくの後ろを車でなおも追いかけてきたあの犯人たちともう一度対峙する可能性を考えると、どうしても再びあの場所に戻ることは賢い判断だとは思えません。

警察に捕まってからも全く反省の色を見せず、署内でぼくとすれ違う度に暴言を浴びせてきたあの犯人たちともう一度遭遇してしまうのはあまりにも危険すぎます。
これはいくらぼくでも容易にわかります。

そして何よりも問題だったのは犯人たちが車に乗っていたということです。

歩きなおしても再び遭遇する可能性があまりにも高すぎました。



もちろん羊飼いの時にめちゃめちゃ悩んで結局歩きなおすことにしたくらいなんで、今でも気を抜くとおかしくなってしまいます。
がああああ、ってなります。度重なる自分の不幸を嘆くようなかんじで。

ただ不思議なものでそれは、ここまでずっと歩いてきたのにっていうのではないです。

すでにエリスタでそのことを強く思いすぎたせいであんまりそういう風には思わなくなってるのか、襲われるあの場所までずっと歩き続けてきただけでよくやれたなあ、とそう思うことのほうが多いです。

中国やカザフを横断した経験は今後に必ず生きてくる気がします。強盗に襲われてロシアが駄目になったとしても今までの経験はきっと無駄にはならへんはずやから。

たぶん今こう思えてるのは、ここまでずっと歩いてきたのにっていう思いが消え去るくらいに強盗が怖かったからやと思います。
ここまでずっと歩いてきたのにという思いに、やばい殺されるという恐怖が勝ったんやと思います。

今後もいろいろ冒険したいならいつかやめないといけない思考やったんで、それをやめさせてくれたという意味だけに於いてはいつかは強盗に感謝してもいいのかもしれません。

ただ今は無理です。
あいつらがめっちゃ怖いし、めっちゃ腹立つ。それだけです。


今にして思えば、前に出会った羊飼いの犯人なんてめちゃめちゃかわいらしいですね。
羊飼いの犯人から戻ってきたバックパックの中身で荒らされてたのは財布の中に入っていた200ルーブル、たったそれだけでしたから。
カメラもMP3ウオークマンも全く手をつけてませんでしたから。

ちなみに200ルーブルは円換算すると900円程度です。



ということで、今日明日中にここロストフを離れてウクライナに向かいます。

ノービザの国々がぼくを待っています。
ユーラシア大陸の後編です。

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2008.08.29 (Fri) 11:09
ロシアでのある風景

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ぼくは今、ロストフって町に居てます。
ロシアにあるなかなかの大都市です。

で今さっき、そのロストフの町の中心にある地下道を歩いてたら地下道のわきに汚い格好で杖をついたおばあちゃんが紙コップを握って立っていました。
目を充血させ下を向いたまま、顔を真っ赤にして立っていました。

なんで物乞いって地下道に集まるんやろな、とぼくはそう思ってついさっきバスに乗った時のお釣りがポケットに入ってたのを思い出し、おばあちゃんの持ってる紙コップの中に入れてあげました。1ルーブル硬貨だけやけど入れてあげました。
いつもは物乞いにお金をあげることはまず無いんですけど。

そしたらそのおばあちゃん、突然なにやらわけのわからん怒鳴り声をあげて、持ってる杖でぼくの足をおもいっきり小突いてきおるではありませんか。
ものっすごい杖さばきでぼくの足をばんばん攻撃してきやがるではありませんか。


なんやねんなんやねん、なーんやねん


ただの酔っぱらいでした。
紙コップにはウオッカが入ってました。

2008.08.27 (Wed) 15:29
ルースキー

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2008.08.25 (Mon) 19:33
まさかの二回目

時間がないうえに2度目の強盗。
警察で数日にわたり事情聴取を受けて、ロシアを歩ききるのはとうとう無理になりました。

2008.08.25 (Mon) 00:25
メダルを

どうも、尾関改めあほです。

無事エリスタに戻ってこれました。

結果的に事件現場からここエリスタまで素敵な出会いこそあれど、危険な目に会うことはありませんでした。
よかったよかった。


ふだんの生活を住居の半径5km圏内で過ごす羊飼いを相手に145kmも諦めることはないなとそう思っての再歩行。

事件現場の西10kmほどの場所にカフェがあったのを覚えていたのでエリスタからそこでバスを途中下車。
カフェで荷物の全てを預かってもらい、そこら辺で暇そうにしている車を雇って事件現場に戻ることにしました。

「ここから東10kmのところまで連れていってくれれば200ルーブル。そこでぼくは車を降りて、このカフェまで走って戻ってくるから、その後にぼくの後ろからゆっくり車で付いてきてくれればさらに300ルーブル払うよ」

現場からカフェまでを手ぶらの状態のまま全速力で駆け抜け、それだけでは不安なので現地人の車に伴走してもらって最も危険、唯一危険なエリアを抜けることにしたわけです。


あん時のぼくは今北京にいる誰よりも早いタイムで10000mを駆け抜けてたはずです。

だれかメダルください。

2008.08.15 (Fri) 00:15
明日の朝

事件現場に戻ることにしました。
あきらめるん無理でした。

ぼくはあほです。

2008.08.09 (Sat) 23:27
西か東か

8月3日の朝にいったい何が起こったのか?

前回の日記の最後をえらく気になる感じにしてしまったんでもう結論から先に言っちゃいますと、 身ぐるみを剥がされました。

水も食料もテントもカメラもパスポートも。
黒く長い鉄の棒を不気味に光らせた羊飼いの男にバックパックごと全て持っていかれました。

まさかカザフを抜けた後にこんな仕打ちを受けるとは思ってもいませんでした。

カザフじゃハッタリひとつで運良くなんとかなってきたし、ロシアはなんだかんだいったって安全な国。 田舎で若い女性が軽く出歩いていることを見るとそれだけでロシアが安全なことはよくわかります。カザフの田舎で若い女性の姿を見ることはなかったから。


全てを失ったぼくはとにかく現場から離れようとヒッチハイク、そのまま警察署へ。
ちなみにこの警察署、現場から60kmも離れてます。

悪名高いロシア警官に徒歩旅行を邪魔されることこそ予想できたけど、まさかこっちから助けを求めにいくことになるとは。
人間の予測できることなんてほんまにたかが知れてますね。未来ってすごい。


で警察署に飛び込んだんですけど、このカルミク人警官たちがじつに素敵な人たち。

全てを紛失した哀れな日本人を温かく迎え入れてくれて、やれピロシキを食えだのやれジュースを飲めだの大歓迎。

「ヒロシ、心配するな、おまえの荷物は必ず取り返してやるからな、犯人はもちろん、、こうだ」と言って首をかっきる仕草をした警官。
めっちゃカッコ良かったです、鳥肌が立ちました。

今にして思えば警官のこのセリフを聞いた時に、朝から続いていた緊張状態からようやく解放されたんやと思います。本当に救われました。



そしてすぐさま警官二人とともに現場に急行。


すると、なぜかすでに犯人は別のパトカーで捕らえられていました。バックパックも無事。

じつにあっけない。

別のパトカーの警官たちと握手をして犯人の逮捕を感謝。

バックパックの中身を確認して、犯人である羊飼いの方を見やるとロシア警官たちを前にして小さくなっていました。

まずぼくのパスポートを奪い、拳を振り上げ鉄の棒を振り上げてぼくを草原へ引きづりこもうとした恐怖の羊飼いはすでにもう全くの別人で、完全に小羊状態。

いつのまにか飼う側から飼われる側になっていました。なんやねん、こいつ。

犯人をパトカーに乗せ、再び警察署へ。



取り調べが始まりました。


ぼくは取り調べの行われる部屋の隣にある別室で待機。
警官がたまにぼくを呼びにきて、その度に犯人を前にしてどんな風に襲われたのかを細かくぼくに説明させました。

基本的にぼくは何もない部屋で待機してるだけなんですけど、隣から漏れ聞こえる警官たちの怒号や犯人の悲鳴は隣の部屋で何が行われているのかを察するには十分。
めっちゃかっこいいセリフでぼくを励ました優しい警官も一度ぼくの待つ部屋にやってきて、部屋にころがっていた角材を拾い再び隣の部屋に戻っていきました。

まあ、どうやらそうゆうことが行われていました。


あ、ここでこの警察署への不満をひとつだけ言わせてください。

取り調べが終わったあともぼくは別室で数時間待機させられてたんですけど、犯人は牢に入れられてる様子もなくけっこう自由に署内をうろうろしてました。
これはなんとかしてほしいです。

おかげでトイレで犯人と並んで一緒に用を足す羽目になりました。
お互い無言で目も合わせなかったんですけど、加害者と被害者が並んでトイレをするのは滑稽すぎます。
びびってしまって出るもんも出なくなります。勘弁してください。



やがて待機していた数時間の後、警官が再びやってきて「ヒロシ!|エリスタへ行くぞ!!」と突然そう言いました。
エリスタは現場から145km西にあるカルミキア共和国の首都。

事件の手続き上の関係で大都市エリスタに向かうのだろうとそう思い、バックパックを背負って付いていくと「エリスタまでは車で行きなさい、それから先を歩けばいい」と警官。
手続き上の理由ではなくってぼくを安全に旅行させるための彼らの判断のようでした。

「歩きたいなあ」とぼくがそう呟いた声が彼らの耳には聞こえていたのか聞こえていなかったのか。
彼らは何も言いませんでした。

ぼくもとくに意地を張ろうとは思わなくって、素直に彼らの指示に従うことにしました。


そして国道まで警官とともに向かい、国道で警官によるヒッチハイク。
彼らの権力は絶大で彼らが手をかざせば、次々と車が止まります。

3分も立たぬうちにエリスタへ向かう車が見つかり、運転手に日本人を乗せてエリスタへ行くことを約束させた警官は「気をつけて旅行するんだぞ」とそう言って帰っていったのでした。


と、ここまでが8月3日の出来事。






そしてぼくはまだエリスタに居ます。
もうかれこれ一週間ほどこの街に居ます。

歩けなかった145kmのことをうじうじと考えています。

素直にあきらめて西に向かうのか
危険をおかして東に戻るのか

東に戻りたいけどあの羊飼いと再会してしまう可能性があります。

あきらめて西に向かうのが正しい判断なのはわかってるんですけど、どうもあきらめがつかないでいます。


ぼくはいつも意地になってしまって正しい判断を見失い、危険をかえりみずに突っ込んでいってしまいます。達成感に固執しすぎてしまいます。これはぼくの悪癖でこれはほんとになんとかしないといつかぼくは死にます。

身ぐるみ剥がされて一週間も立たないうちに現場に戻りたがる行為は正気の沙汰ではないです。
あきらめるのが正しい。それはよくわかっているつもりです。





ただ、


じつはぼく、めちゃめちゃ不恰好ではあるけどここまで1年半日本からずっと歩いて旅行をしてきました。

毎日車から掛けられる「お金はいいから乗りなさい」という声を断りつづけられたのは「日本からずっと歩いてるのに今さら車なんか」という思いで、「あほか、車乗るくらいやったら飛行機乗って日本帰るわ」といった気持ちからです。

空白の145kmができた今、今後も聞こえてくるであろう「車に乗れ」の声を断る自信がありません。どんなモチベーションでポルトガルを目指せばいいのかまったくわかりません。


これから西に行けばいいのか、東に戻ればいいのか



今日も頭を悩ませてます。

宿代は高いし、ロシアビザ期限も迫ってます。いつまでもこの街に居るわけにはいきません。


どうしよか

2008.08.09 (Sat) 00:56
振り返ればカザフ

7月24日。
カザフスタンの横断を終え、ロシア入国。

この時、ロシア入国時にビザ取得に半年以上四苦八苦していたロシアへの入国よりも嬉しかったのはカザフスタンを無事に歩き終えたということ。

初めてカザフに入国したのが去年の夏。
中国ビザが切れてしまうために一時避難した時。

その時は国境のカザフ側の村で一泊してすぐに中国に戻っただけやったけど、中国を横断して再度やってきた秋のカザフ、装備を揃えて挑んだ冬のカザフ、越冬明けの春カザフ、そして今回の夏のカザフ。

草原で季節を一周させることになるとは思ってもみませんでした。
てかそもそもカザフは横断する予定なんかありませんでした。

ロシア国境手前わずか10kmでダメ押しとばかりにスパナを振り回す子供らに襲われ、カザフで襲われた回数は計3回。

酔っぱらい、大麻バカ、注射バカ、馬乗りカザフ人、子供ら、ワイロ警官。

「金くれ」「水くれ」「酒くれ」「タバコくれ」「土産くれ」といろんな人たちからぼくは大人気でした。
もうどこまでが襲われたうちに入るんかようわからんようになるくらいに。

徒歩旅行がいかに危険な旅行であるかということをこの草原の民のおかげで嫌というほど味わいました。 ずっと味わわんままでいたかったけど。

そして、そんなカザフスタンには上記の阿呆どもをはるかに上回る数の最高に素晴らしい人たちが居るということも言っとかないといけません。必ず。

3000kmを超える無人地帯が永遠とも思えるほどに続く世界最大の草原。

ぼくがそこを横断できたのは彼らの協力あってこそ。それはもう明白の事実で、出会う度にジュースとパンを差し入れしてくれたカザフ人運転手がいったいどれだけ居たやろうかと思うと手足の指を足したって到底足りるような数ではなく、彼らに出会う度「やっぱり車には乗らないのか?」と聞かれる時なんかはほんまに自分のやってることがよくわからんようになります。

おれ、こんなとこでいったい何やってんにゃろ?って。

で、最後に台車を処分してアティラウからロシア国境までの最後の300kmをバックパックを背負って歩いたんですけど、最初はバックパックの重さにかなり手こずりました。

極限まで荷物を減らそうとかなりの物を処分しました。

ロシア語のテキストをコピーをした物がいくらかあって、これをさっさと片付けてしまえば荷物減るなあと毎日歩きながらロシア語の勉強をしてたんですけど、なんか二宮金次郎みたいになったようであほらしくなってやめにしました。

おかげでほとんど処分できたけど、あれは危険です。あんなん続けてたら、じきに車に轢かれます。

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振り返れば、そこはカザフスタン。

襲われて顔面血だらけで歩いてた時もあれば、空腹で行き倒れたこともありました。格好が汚すぎて、日焼けがひどすぎて、大きな街では屈辱的な扱いを受けたこともありました。地図上に書かれているはずの道路が無くって250kmもの距離の草原をひた歩かないといけないこともありました。 ほんで、冬の寒さに涙凍らせたあの夜。


国境を越えた時、1年間のいろんなことを思い出しカザフスタンを歩き切った達成感でぼくは胸があつうくなってしまいました。 待ちに待ったロシアへの入国とか別にどうでもよくなって。



そして、ロシア入国から10日経った昨日8月3日の朝の事件。

日本からずっとここまで歩いてきた大陸のうちの145km、そこを車に乗って移動せざるを得なかった昨日の事件。

今後ももう歩くことはないであろう145km。

この145kmのことをぼくは今後どう考えていけばいいんでしょうか。

2008.08.04 (Mon) 21:52
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