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旅行会社のおねえさんが言いました

「キルギスに三ヶ月以上滞在している人間でないとロシアビザは取得できません」
と彼女は言いました。

「だからあなたはビシュケクではロシアビザを取得できません」
と彼女は言いました。

「だからあなたはビシュケクではロシアビザを取得できません」
とぼくがロシアビザ手配を頼んでから十日もたった今になって彼女は言いました。


・・・・・・


「いっそトーキョーで取ってくれば?」
と彼女は言いました。

「いっそトーキョーで取ってくれば?」
と彼女は笑いながら言いました。

「いっそトーキョーで取ってくれば?」

言いやがりました。


うっさい

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2007.10.26 (Fri) 14:27
まだまだビシュケク

ビシュケクに着いてから二週間かけて取得したウズベキの一ヶ月ビザとカザフスタンの一ヶ月ビザをルート変更のために棄てることに。

イラン行き、そしてウズベキスタンの首都タシケント行きもやめて、がっつりカザフスタンを徒歩横断してヨーロッパ入りすることにしました。


■今後のルート■

キルギス

カザフスタン

ロシア

ウクライナ

いくつかの国(現在未定)を経てイタリアへ

フランス

スペイン

ポルトガル


ウクライナ以降のヨーロッパ諸国はノービザで三ヶ月まで滞在できるんで問題ないんですけど、がっつりと徒歩横断するために長期滞在になるカザフスタンと外国人旅行者にいちいち手厳しいロシア(あほ)のビザをこれからまたこのビシュケクの町で取得しなければなりません。

カザフスタンの半年マルチビザ。
ロシア(あほ)の三ヶ月二次ビザ。

そして、この二つのビザの取得がおそろしいほど時間がかかる。

旅行会社に頼んでインビテーションを発行してもらい、それをビシュケクの各領事館に持って行き、しばらく待ってビザ受領。要する期間はおよそ一ヶ月。

てか、カザフの方は簡単にとれるんですけどロシア(あほ)の方の取得に一ヶ月もかかってしまうのです。

かかる費用も二つ合わせて400ドル超。

これだってロシア(守銭奴)ビザの取得に300ドル近くかかってしまうからです。

そしてさらにはそんな期間と労力、費用をかけたって、ロシア(無責任)のインビテーションが貰えるかどうかはやってみないとわからないといいます。

ひどい。
ひどすぎるぞ、ロシア(ひとでなし)。


そして宿のベッドの上でそんなことを考えながら、ぼくは思わずつぶやきました。

「なあ、プーチン(うんこ野郎)。おれ、君になんか悪いことしたっけ」

2007.10.18 (Thu) 15:26
南か北か

キルギス入国後十三日目。ビシュケクに着いてからのぼくの生活は退廃の一途をたどっています。

ウズベキビザやカザフビザの取得はなんとか無事に終えたもののジョギングどころかロシア語の勉強さえほとんど手をつけていない状態で、ドイツ人と夜のビシュケクに繰り出しさんざん酒をあおったり、日本人と朝までわいわいトランプに興じたり、と本来やらなければならない買い物や勉強をほったらかして好き放題に怠惰な生活を送っています。

やらなきゃいけない、けどビールがうまい。
やらなきゃいけない、けどみんなと遊びたい。

そして、そんな葛藤(大敗)を繰り返している折に耳に入ったこの情報。


「イランで日本人旅行者が拉致された」


日本ではもう誰もが知っていることなのかもしれないけれど、イランで日本人旅行者が拘束されたという事件をぼくは昨日ようやく知るに至りました。

いったい被害者の日本人が何者でいったい加害者のイラン人が何者なのか自分には全くわからないけれど、今後イランという国を徒歩で一ヶ月以上旅行しなければならない自分にとってはこのニュースはあまりにも衝撃的で、今後のルート変更を真剣に考えざるを得ない状況に追い込まれました。


このままルート変更せずにカスピ海南部から、

キルギス→カザフスタン→ウズベキスタン→トルクメニスタン→イラン→アルメニア→グルジア→トルコ→ギリシャからヨーロッパへ

と歩くか、カスピ海の北部から、

キルギス→カザフスタン→ウズベキスタン→カザフスタン→ロシア→ウクライナからヨーロッパへ

と歩くか。

あともうひとつカスピ海を船で渡るルートと三つのルートを考えたんですけど、今さら船になんて乗る気にならないので実際考えられるのは上記の二つのルートのどちらか。

しかし新案のカスピ海北部ルートは歩行距離が大幅に増えるうえに無人の砂漠地帯を-2,30℃ちかい寒さのなかで数ヶ月歩き続けないといけないという凍傷覚悟の酷い極地ルート。

当初から予定していたカスピ海南部ルートも大して過酷さは変わらないのだけれど、古くから多くの行商人や旅人が行き交った歴史あるこのルートの方が地形上安全にヨーロッパに抜けれることは間違いなく、途中に大きな町がいくつかあるというのはとても大きい。

カスピ海はやっぱり南部から越えたい。

まあ、とりあえずはどちらのルートを選ぶにしたってカザフスタン南部の中都市シムケントまでは歩かないといけないのでしばらくは拉致事件の行方を気にしつつ今までどおり歩くことにします。


ビシュケクを出発するのは10月14日。ウズベキスタン入国は11月初め。


極寒
砂漠
道路凍結
トルクメニスタントランジットビザ問題
今回のイラン拉致事件

いちいち問題が多すぎてなんだかよくわからないことになってます。とくに最後の方。

どうやらこの中央アジア横断がこの冒険の最大の山場になりそうです。来年の年始を自分はいったいどこで迎えることになるのやら、、、

2007.10.12 (Fri) 21:55
SGH

ぼくが泊まっているゲストハウスは今現在、家主も管理人もいない。


ビシュケクの闇宿、"South Guest House"(南旅館)。


この宿は他の宿のように看板を出して堂々と営業しているわけではなく、ビシュケク郊外の住宅地にあるアパートの一室(四階)をキルギス人の家主が外国人旅行者のためにこそこそ開放しているというじつに怪しい宿。

目印は宿の入り口のドアの横にボールペンで書かれた"S.G.H."という頼りない文字だけで、そしてそのドアの内壁、宿の室内には"もしキルギス人や警察がやってきても絶対にドアを開けないでください。トラブルの元になります。居留守を決め込みましょう"と日本語と英語で書かれたメモが張られていたりします。う~ん、ますます怪しい。

そしてここは宿とは言ってもあくまで家主の自宅なので泊まれる人数は9人が限界(当然ドミ)。

だけど、キッチン使用可で自炊もできるうえに宿代も市内では一番安いようなので訪れる旅行者はとても多く、長居する旅行者も多いのです。

一泊、2.5ドル。


そして、そんなうさんくさい宿の経営をほっぽらかして家主は数ヶ月前に姿を消したといいます。

高給を求めてアフガニスタンへ出稼ぎに。

"米軍基地の売店で働く"(月給600ドル)というおいしい職をどっかから見つけてきて、アフガンに旅立ってしまったらしいのです。


そして家主が消え、残されたのは家主のママであるおばあちゃん一人と旅行者が数人。

家主のママはキルギス語とロシア語しか喋れないし、一日中部屋にこもって何かやっているので、当然宿経営には支障が出てきます。掃除はまめにやってくれてるけど。

そこで長期滞在者が自主的に管理人のようなことをやってここまで凌いできたそうなんですけど、気がつけばその旅行者も姿を消し、家主のママも一週間ちかく家を空けてしまう始末。

いよいよ残されたのは、右も左もわからない旅行者のみ。



まさに是枝監督の「nobody knows」みたいなことになってます。混沌としてます。

宿代だれに払ったらいいんかわかんないんで、みんな困ってます。


ママー、早く帰ってきてねー

2007.10.04 (Thu) 16:53
Вишкек

ビザ切れ間近までカザフスタンを歩いて、ようやく脱出。
キルギスの首都ビシュケクへ。

この町ではウズベキスタンビザとカザフスタンビザ(再入国)の取得のために二週間ちかく滞在することになります。

物価も安いし、宿には日本人もいるんで、せっかくなんでここぞとばかりにのんびりだらだらと過ごしてやろうと思ってます。

酒飲むぞー
昼まで寝るぞー
本読みまくるぞー
日本語しゃべるぞー

あー、けどロシア語の勉強だけはちゃんとやらへんと。

2007.10.03 (Wed) 20:31
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