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ガソリンストーブ

ガソリンストーブが壊れました。
MSR社のドラゴンフライ。

ガソリンストーブに必要なガソリンを入れているボトルのポンプが完全にイカれてしまったために、ポンプをいくら押しても空気をボトル内に送りこむことが出来なくなりました。

たまりません。
今後、自炊をすることが出来なくなってしまいました。

そしてそれは、今ぼくが食料として大量に持ち歩いているインスタントラーメンや卵、野菜、米が何の役にも立たなくなってしまったということです。 代わりに調理不要な食材を用意しなければならなくなったということなのです。

卵や野菜が本当にもったいないし、今からそういった食材を大量購入しなければならないというのもかなりおっくうです。

これも全部MSRのせいです。
MSRがしょーもない商品を世に送りだしてしまったからです。

バーカ 。
MSRのバ~カ。




※出国前、ぼくはMSRにスポンサーになるのを断られました。

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2007.04.27 (Fri) 22:03
寧夏回族自治区隆徳

まさかここにきて雪に降られるとは思ってもみませんでした。

2007.04.23 (Mon) 23:03
甘粛省平涼市

中国に入って初めて若い女の子の浮浪者を見ました。

それは20歳くらいの女の子。

その子はもう何ケ月も髪の毛を洗っていないらしくて、髪の毛がまるで油ぎったフライパンを洗った後の金ダワシみたいになっていて、さらには黄砂のせいで髪の毛が真っ白になってしまっていました。

そしてそんなその子の風体は他の男の浮浪者と同じく髪の毛が伸ばしっぱなしになっていてどこかで拾ったらしいボロボロの布きれやスーパーの買い物袋をまとっているという中国の浮浪者としてはかなりスタンダードな風体だったので、遠目で顔だけ見ると男なのか女なのかわからないといったものでした。

だからぼくも、あれは男かなあ、それとも女なんかなあ、とそう首をかしげながらその女の子に近づいていったんですけど、さすがにその子に近寄って見れば男なのか女なのかを確認することができました。

なんで女の子ってわかったかというと、それはやっぱりあれじゃないですか、なんですか、その。


上半身になにも着てなかったからです。

おっぱい丸だしやったからです。

2007.04.21 (Sat) 22:08
あなどるな

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黄砂ってただ風が強いだけのことなんだろ、とか寝ぼけたことを考えているあなた。
黄砂をばかにしてはいけません。

とりあえず今すぐここまで来てください。
一緒に歩いてください。
シルクロードを。



な?

めっちゃ砂とか石飛んでくるやろ?

痛いやろ?

日焼け跡をこれでもかっていうくらい刺激してくるやろ?

だからTシャツなんか着られへんやろ?

目えも開けられへんやろ?

頭なんか上げられへんやろ?

かろうじて足下だけ見れる程度やろ?

ふらっふらふらっふら歩いてしまうやろ?

だから後ろから迫り来るトラックがめちゃめちゃ怖いやろ?

こんな中で一日に30kmも歩けるわけないやろ?

40kmなんてもっての外やろ?


けど歩く!

2007.04.17 (Tue) 20:40
ヒッチハイクをやめた理由

今でこそぼくは徒歩で旅行していますが、もともとぼくはヒッチハイクでどこでも旅行していた人間でした。
親指こそ身体中でもっとも優秀な部位にちがいないとそう思っている人間でした。

そうです、じつはぼく、元ヒッチハイカーだったのです。

そしてそれは人民自転車にまたがってアンコールワットを目指したときよりもずいぶん前の頃で、ヒッチハイクで日本一周したり、メキシコでヒッチハイクしたり、土日を利用して広島に行ったり、とそんなことをしていた時期があったのです。

せっかくなので今回はぼくがそんなにもよくやっていたヒッチハイクをやめてしまった理由を日記に書きたいと思います。

たぶん長くなるけど、ヒマな人はよかったら読んでいってください。



··············



それはたしか2001年の夏。ぼくがヒッチハイクで日本一周していた時です。

京都を離れ、まずは北海道の最北端ちかくにある利尻島の利尻岳の登頂を目指して北上したぼくはその後無事に利尻岳の山頂でサハリンを眼下におさめることに成功しました。

そしてそれには飽きたらず「次は前にも原付で行った屋久島に再び挑戦して、屋久杉だけとはいわず屋久岳を極めよう!!うんそれだ、それしかない!!」とそう奮起して、北海道での旅をそこそこに切り上げ本州に戻るため函館にあるフェリーターミナルに向かうことに。

なぜ函館のフェリーターミナルに向かうことにしたかというと当時は北海道を脱出しようとすると青函トンネルを使って電車で青森に抜けるよりも函館のフェリーターミナルからフェリーで青森に抜けるほうが安くついたのです。

そしてたぶんこれは今でもそうだと思います。


そうして稚内からヒッチハイクで美瑛、富良野、長万部を経由して函館のフェリーターミナルにぼくがたどり着いた時、その時はすでに夜も遅い時間になっていて青森港行きのフェリーの最終便が出てしまっていた後でした。

それはすなわちその晩はこのターミナルで野宿しなければならないということです。

しかし、野宿しなければならないからといって悲嘆する必要など全くなく夏のこの時期のフェリーターミナルという場所は全国からやってきた旅人たちがうようよしているような場所で朝までほとんど退屈することはありません。

ぼくも気がつくとほかの旅人たちとベンチを囲んで旅の話で盛り上がっていました。


それではそのときの函館フェリーターミナル野宿のパーティーを紹介します。メンバーは計3人。


■無一文ヒッチハイカー。40歳。
■北海道に大麻を摘みにきたジャマイカ人。
■21歳の夏の自分。


この無一文ヒッチハイカーの40歳のおっちゃん(大阪人)は本格的に日本を無銭旅行しだしてもう4年になるといいます。

「お金はどうしてはるんですか?」とぼくが尋ねると「他の旅人から金とか服をカンパしてもらって、お金は旅費にするし服は他の旅人に売るねん」とそう言いました。

なんかむちゃくっちゃやなあとぼくはそう思って「え、そんなん働いたらもっと楽に旅できるじゃないですか?」とおっちゃんに言うと「あほか。北海道で働くくらいやったら大阪で働くわ」と言われました。

正直この言葉の意味は今でもよくわかりません。

そしてそんなおっちゃんは会話中に「ちょお、なんか飲むもんおごってえや」と何度も甘えた顔で言ってくるというそれはもう本当に面倒くさい人でした。

ぼくも「いやいや、無理ですって」とずっと断ってたはずなのですが、それでも気がついたらコーヒーをおごっていました。本当に気がついたらコーヒーをおごってしまっていたのです。

完敗です。
じつに巧みでした。



そしてもう一人のジャマイカ人。

彼は日本を旅行中のバックパッカーで北海道には大麻が群生しているとの噂を聞きつけ東京からやってきたといいます。

日本語は少しだけしゃべれるらしく、無一文ヒッチハイカーのおっちゃんも大麻好きな人ということもあって二人してバッツがどうとかリーフがどうとかそんなことをずーっと話していました。

ぼくはそんなことより夜の暗闇の下で不気味に光るジャマイカ人の目がとっても恐かったです。



さて話は変わりますがじつはこの3人全員が翌朝一番の青森港行きのフェリーに乗るわけではありません。

ぼくはもちろん翌朝一番に青森に向かうのですが、ジャマイカ人はついさっきの最終のフェリーで青森から函館にやってきたところで翌日には電車で札幌に行くというのです。

そして無一文ヒッチハイカーのおっちゃんはというと「お金ないからフェリーに乗れへん」と言って「あとどうしても200円足りひん」とぼくを寂しそうな眼で見つめてくるというひどい有り様。

それはもう知らんわとぼくはそう思って、面と向かっておっちゃんの話を聞いていない感じにしているとおっちゃんは仕方なくこのターミナルでもう何泊か野宿を続けることにしたようでした。

ぜんぜん悪いことはしてないはずなのになぜかとてつもない罪悪感を感じました。

これはいったいどういうことでしょうか。



そしてその晩はおっちゃんとヒッチハイクのあるある話に花を咲かせたり、3人でストンプしたりして朝までずっと遊びました。

これは本当に楽しい最高の一夜になりました。

しかしどんな出会いにも当然別れというものがつきものでそんなに楽しい夜もやがて朝がくると別れのときがやってくるのです。

はじめはヒッチハイカーのおっちゃんのそんなディープな旅のスタイルにとまどっていたぼくも一晩たつと不思議とそんなおっちゃんが愛らしく思えるようになってきて、暗闇の中で両目を不気味に光らせていたジャマイカ人も一晩たってみるととっても素敵な人間であることがわかってくるものです。

やっぱり心を開いてお互いが歩み寄れば、年齢も国籍も異文化も超えられるものなのですね。



そしてまずはJR函館駅まで歩くというジャマイカ人とのお別れのとき。

おっちゃんとぼくが二人して「We love Jamaican!」とそう言うとそのジャマイカ人は言いました。

「ごめんなさい。ぼく本当はジャマイカ人ではないです。本当は※※※※人です。」

じつはこのとき彼がナニ人だと告白したかは今となってはまったく覚えていません。

ただその国名を聞いてもなんやねんどこやねんその国、そんな国はじめて聞いたわとそう思ってしまうような国だったのでぼくはとりあえず「へえ、そうかあ、遠いなあ」となんか適当なことを言いました。

おっちゃんは「なんやねんどこやねんその国、そんな国はじめて聞いたわ」とぼくが心に思って我慢したことを全部言っちゃってました。


さようならマリファナマン
あんまり悪いことしすぎて捕まらないようにね



そしてマリファナマンとの感動的な別れが終わると、いよいよぼくもおっちゃんとの別れがやってきました。

別れ際にぼくがおっちゃんが足りないと言っていた200円をカンパしてあげるとおっちゃんは大喜びでぼくに握手してきました。

そして握手しながら、ぼくにこう言ったのです。

「おまえたぶん素質あると思うし、きっとおれみたいな旅人になれると思うわ。だからヒッチハイクずっと続けなあかんで。な?きっとおれみたいになれるし。」

「あ、はい・・・」


このおっちゃんにきっとおれみたいな旅人になれるとそう言われてしまったぼくがもう二度とヒッチハイクなんてやめようと固く決意することになったのは至極当然のことです。

無銭旅行だなんてもっての外です。


2007.04.15 (Sun) 00:43
明日からシルクロード

ターバン購入しました。
ひざのサポーター購入しました。
足首のサポーター購入しました。


明日からぼくはシルクロードを歩きます。
ここ西安からアジアの最果てイスタンブールまでその距離はなんと10000kmちかく。

砂漠といっても不毛の地を行くわけではなくマルコ・ポーロや三蔵法師も通った歴史ある交易路を行くのでそれほど不安があるわけではなくって、砂漠を真っ二つに分けるように道路が延々とのびているところを歩きます。

シルクロードを歩けばおおよそ一年くらいかかるだろうし砂漠もいくつか越えないといけませんがいまのところ準備は万端。

気分はすでにもう砂漠の民です。


おっしゃ砂漠よ、いつでもかかってきなさい、けっちょんけっちょんにしてやる、返り討ちにしてやる 、ごめんなさい言うたって許したらんからなー、泣くなよー。

2007.04.13 (Fri) 00:35
山ほどある夢の話

ぼくには夢があります。
山ほどあります。

それはエベレストの単独登頂だったり、アマゾン川をイカダで下ることだったり、南極の単独徒歩横断だったり、ヨットで単独無寄港世界一周することだったり、アフリカの単独徒歩縦断だったり、ベーリング海峡をカヌーで渡ることだったり、気球に乗って世界一周することだったりします。

もちろん今挑戦中のユーラシア大陸の単独徒歩横断もたくさんある夢のうちのひとつです。

けれど今のぼくには、そんな山ほどある夢を叶えるために必要なお金もコネも技術も実績もなにもありません。とくべつ頭も良くないし、体力的に他人よりも優れているわけもありません。
かといって夢を諦めて、日本に帰ってもう一度社会人をやりなおせるほどまともな人間でもないです。


だから。

だから、ぼくは人よりも何倍も努力しないといけないのです。

どんなに辛いアクシデントが起こっても、どんなに苦しい環境に追い込まれても、歩みを止めるわけにはいかないのです。人がのんびりゆっくり休んでるときにこそ、ぼくは頑張らないといけないのです。

エベレストに挑戦したいから。アマゾンに挑戦したいから。

どうしても。

2007.04.10 (Tue) 22:34
テラコッタ・ウォリアーズ

兵馬俑に行ってきました。

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観光中に日本人の中高年ツアー客十数人を発見したんですけど彼ら彼女らのうちのほとんど、8割ちかくがこぞってマスクを着用していまして、それはそれは奇っ怪な集団でした。

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マスクを着用することで花粉を防ぎたいのか、埃っぽい西安の町を嫌がっているのか、はたまたSARSやなんかを警戒しているのか彼らの真意はわかりませんが、明らかにまわりの中国人や欧米人はとても不思議そうな顔で日本人ツアー客を眺めていました。

そしてぼくもそんな日本人ツアー客を眺めながら、まわりの中国人や欧米人たちと同じことを思いました。


そんなに無理して中国来ることないやろ

2007.04.09 (Mon) 18:36
西安

やったー!西安着いたー!言うて、宿のベッドに腰を下ろしてこれまでの一ケ月半の苦労を思い出しひとしきり感動。

まったく気分の乗らないまま上海を出発しておよそ50日。

歩いていて突然犬に追いたてられたり、ニワトリを部屋の中に投げこまれたり、どしゃ降りの中テントを張って散々な目に遭ったり、悪臭ただよう苦手なヤギ肉を「あーそう!これだこれ!」なんて言ってさも日本に居るときから大好物だったかのようにうまそうに食べないといけなかったり、せっかく楽しく読んでいた「永遠の仔」が雄作のあほのせいでじつに腹ただしい読み物に変わったり、河南省から西安まで延々とつづく山地の連続に心が折れそうになったり、知らないうちに左足首の関節が腫れあがっていてとても不安な気持ちになってしまったり、 となんかいろいろと大変なことがあったけれどそんな苦労も西安に着いたことで一旦リセット。

一週間ほど西安で身体を休めて今後に備えることにします。

2007.04.08 (Sun) 22:14
髪の毛ひっぱる

今さっき自分がパソコン触っているすぐ横でケンカが起こりました。

それは若いカップルらしき中国人男女のケンカで、男が女の子の髪の毛をつかんで引っ張りまわしておるといったもので、ひとりインターネット店の店員が止めに入ったのですがそんなこともかまわず男がなにか喚きちらしながら暴れまわるといったものでした。

ぼくは友人からのメールの返信に追われていましたが、そのケンカがあまりにも一方的で見るに堪えないひどいものだったのでおもわず止めにはいりました。

止めに入ってしまいました。

するとその男は「おまえなんやねん、ぜんぜん関係ないやんけ、ヒゲ剃れやぼけ~」とそう言ってぼくに飛びかかってきました。前蹴りをしてきました。

あ、ぼく中国語はあいかわらずあんまりわからないんですけど、まちがいなく相手はこんな言葉を怒鳴りちらしていました。だって彼の眼は本気だったから。伝えたい気持ちがしっかりと眼力になって表れていたから。

そして彼はぼくに前蹴りをしてきたのです。

が、幸いこれは空を切りました。ぼくが避けたというよりは相手がむやみやたらに足をふりまわした、そういったものでした。

前蹴りが失敗に終わりそれが悔しかったらしい彼はつづいてぼくに向かってとびかかってきて、
ぼくの後頭部の髪の毛を掴みおもいっきりグイーーーって引っ張りました。

グイーーーって引っ張りやがりました。
おもいっきりグイーーーって。


えっとね。

ぼく小さいころから他人のケンカ見てていつも思ってたんですけどね、ケンカのときに髪の毛ひっぱる子とか身体に噛みついていく子とか居るでしょう、あれ、ぼく卑怯やと思ってたんですよ、いつも。

髪の毛とか絶対にダメでしょう?噛むなんてもってのほかじゃないですか、せめて殴るとか蹴るとかそういうのじゃないとおかしくないですか?

しかもね、ぼくもう最近27歳になってちょっとずつおでこが広くなっていってるのにめちゃくちゃびびってもうてて、いつ頭はげてしまうかとびくびくしてるんですよ。買い物行ったって「かっこいい帽子かっこいい帽子」言うてるんですよ。

そんなぼくの髪の毛ひっぱるやなんてほんとやめてよね、きみ。

店外に出て30cm径の巨大な牛のうんこにつまずいて派手にこけてしまったあとにやってきた野ブタに食べられてしまいなさい。食べられてしまえばいいのに。ばーか。


暴力反対
LOVE&PEACE


※ぼくが髪の毛をひっぱられた直後に他の中国人たちも止めにはいってきてケンカ終了。あと5秒早く止めてほしかった。
2007.04.03 (Tue) 16:53
陝西省丹風

上海を離れて44日目。1320km。

河南省南陽市を越えたあたりから長く山越えがつづく。

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南陽までの1000kmちかくがじつに平坦で退屈な道のりだったのでぼくはそれまで「じつに退屈だ、山をだせ、砂漠をもってこい」などと道路上でよくぼやいていたのだけれど、いざ南陽を越え山岳地帯にはいると河南省から陝西省に入ってもつづく山越えの連続にいいかげん疲れてきました。

勾配自体は四国遍路のときほどではないのだけれど、トンネルのほとんどない中国の山々を何日も台車を押して歩きつづけるのをときおり辛く感じるのです。


500kmちかい山地の連続に文句言ってるようじゃこのさき大陸の徒歩横断なんて絶対にムリや、なにがアマゾンや、なにが南極やねん、なにが冒険やねん、こんなんじゃあかん。


とりあえずはシルクロードの起点である西安までの残り190kmに全力を。

2007.04.02 (Mon) 21:23
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