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デング・フィーバー

プカルパでデング熱が大ブレイク中ですよ!3000人以上入院してますよ!死人も出てます!との情報が突然ぼくの元に舞い込んできて、ぼくは慌てた。ふためいた。

人口10万人のプカルパの町で3000人が入院。死者も出てる。それって全然あかんではないか。

デング熱がぼくのすぐそばにもやってきそうな勢いなんで、すぐさま宿をチェックアウトし少ない荷物を抱えてバスターミナルに向かいました。

リマへ。

バスん中で隣のアマゾネスが一晩中れろれろ言うて吐いてました。
船の上じゃあんな元気そうやのに。どうしたアマゾネス。

まさかデング熱じゃないよね?

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2012.11.25 (Sun) 16:30
遭難の顛末

じつはぼくが遭難してイカダを紛失した話には続きがあったりします。

遭難して救助された貨物船でプカルパへ向かう道中、なんとぼくの乗っていたイカダを見つけることができたのです。

ぼくを捨ておいて下流へと下っていったイカダを発見。

船員のカルロスとマルコスは「ヒロシ!バルサあったぞー!」言うてにやにや笑いながら小型のボートに乗り込み、イカダの様子を見に行きました。

ぼくはつい数時間前まで沈木にしがみついていた疲れから居眠りをしていて、今さら失ったイカダが出てきたからといってほんまどうでもよかったんですけど。

船から遠くに見えたイカダはあれだけメキリメキリと物凄い音を立てて沈木と格闘していたとは思えないほど遠目やと無傷な感じ。

船員達はボートでイカダを引っ張って貨物船の方へ戻ってきました。

なんだかんだで失った装備が戻ってくるんはでかい。イカダも一見大きなダメージなさそうやし。

で、戻ってきたイカダを見たらどうも見知ったイカダと違うのです。

まず中身が空っぽになっている。
ハンモックも蚊帳もイスも下に引いてたビニールも壁にかけてた針金もバックパックもカセットコンロも食糧もその他もろもろも無い。全部無い。

そして何よりイカダの入り口の扉まで無くなってました。

どうやらイカダを珍しがって様子を見に来たアマゾネスが中に人が居ないと知って中身をごっそり持ってった模様。
まさか扉まで外して持ってかれるとは。

単にシャイで内気な人らやと思ってたけど、扉まで持ってくなんてなかなか大胆なことするなあアマゾネス。


船員達の話し合いの結果、このイカダを貨物船にくくりつけてプカルパまで引っ張るということになったようです。
阿呆な日本人のためになんて素敵なんや、あんたらは。

船の後部にイカダをくくりつけて再びプカルパに向けて出発。

途中猛烈なスコールに遭いながらも船はプカルパへと進んでいきます。
ぼくはもうお疲れやったので雨風のしのげるエンジン室に籠ってずっと寝てました。

そしたら船員のカルロスが突然ぼくを起こしました。

えらい重たい表情をしてなんやジェスチャーでいろいろ言うています。よくよく聞いてみるとロープのくくりつけが甘くてイカダが貨物船から外れてどこかに行っちゃったってことらしい。
船の後部へ行ってみると確かにくくりつけてあったイカダは無くなっていました。

自分としては命が助かっただけでもう何を望もうとも思わないし、イカダも装備も一回諦めてるのでとくにそれを聞いてもショックは受けなかったんですけど、ロープを結わえた張本人であるカルロスのへこみ方がとにかくひどい。

「ふーん、あーそう」言うてもっと寝たかったけど、カルロスのへこみ方見てると逆に気を使うこととなり無理に元気な感じを装ってしまいました。くそー疲れてんのにい。

という感じで、じつは失くしたイカダとは一度再会してたりします。すぐどっか行ってもうたけど。


で、プカルパ生活。

プカルパに着いた当初は、遭難した時にふやけすぎた左足の裏全体がもろに化膿してしまって右手の痺れもひどいことに。

股関節の痛みも重なってしばらくはまともに歩けへんかってんけど、化膿した足の裏も徐々に快復に向かい手の痺れも消えてようやくまともに町を歩けるようになってから、あれ?ということになりました。

あれ?自分はこれからどうするんや?

正直、今から再びイカダ作って水上生活のために必要な物を揃えるだけの気力ってのは今のところ全くといっていいほど出てきません。

一二ヶ月イカダ生活を続けてから遭難してればイカダにもっと固執してたんでしょうけど、わずか5日であんなことになったのでとくにイカダに固執する気持ちが湧いてこおへんのが本音。

かといってこのままアマゾンから離れるんも違う気がするしなー。


まーどのみち九死に一生を得たラッキーボーイ気取りのぼくにとって今後の人生はもはやオマケ。

今後はより大胆に生きていこう。

他人ん家のドアをもぎとって持ち帰れるような大胆な男にならなければ。
2012.11.20 (Tue) 08:36
アタラヤ-プカルパ


イカダ生活の写真を数枚ほど。






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2012.11.19 (Mon) 23:55
ぼくはハックルベリーフィンではなかった


バキッ!メキメキッ!という音がしてからググーッとイカダが傾く。立木と激突して傾いたイカダの中に大量の水が入ってくる。
浸入してきた水はロウソクの灯りを消し、ランタンの灯りを消す。イカダの中はたちまち暗闇になる。


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あれはアタラヤを出てから五日目の夕方。
いつものように夜間航行を始めた矢先の出来事でした。

夜になるとイカダを流しっぱなしにしてそのまま寝るようにしていました。操作もままならないイカダでは夕方に岸へ停泊させるような器用な真似はできひんし、自分としても夜間に距離を稼げるのに越したことはないからです。

で、そんな夜間のバキッメキメキッググーッ。

傾いたイカダから飛び起き、枕にしていた救命胴衣を掴んで外を見てみると、立木の太い幹がイカダの屋根に突き刺さっていて、手で外そうにもまったく外れそうにありません。
傾きもおさまらず、イカダの半分くらいは完全に浸水してしまっています。

とりあえず救命胴衣を装着、貴重品の入ったサブザックにさらに必要なものを詰め込みます。
どれが必要なんかよくわからないんでラオスで貰ったスプーンとかロシアで買ったコップとか変な物ばっかり入れてしまいました。

サブザックを担ぎイカダの外に再び出てみます。相変わらずイカダに立木が深く食い込んでいて面倒な状況。

少しばかり考えてノコギリで木の幹を切断してイカダを脱出させることにしました。
幹の直径は30センチくらいあって自分のしょぼいノコギリでいけるか微妙やったけど、ええいままよと歯を入れます。へっこへっことノコギリを往復させ、たまに木の幹を蹴り上げる。五分も続けているとメキッと音がして木の幹を切断できました。

見事にイカダから立木を外すことに成功。

暗闇の奥へと遠くなりゆく大木を眺め、おっしゃやったーと独りごちてノコギリを持ったまま甲板にへたりこみました。おーこわ、疲れた、あーしんど。


バキッメキメキッググーッ!


別の立木によるまさかの二回目。
イカダの後部からの衝突に今度ばかりは完全にやられました。

甲板にへたりこんでいた自分はものの見事に川の中へ。
ジャポーンと。否、ハポーンと。

すぐさま立木を掴んだんで川へもろに落ちることはなかったんですけど、イカダの方はバキッメキッと音を立てながら立木と離れ暗闇の向こうへと消えていきました。

残されたのは、立木と憐れな日本人。


さいわい一度目の衝突の際に救命胴衣を装着しサブザックを担いでいたのはツイていました。時間はまだ18時30分。

夢中で木にしがみつき自分の状況を確認してみます。ライトが無いのでよくわからへんけど、きっといつかテレビで見た海外のレスキュー映像のような感じになってるはず。
洪水時に木の上に取り残された人のように。

とりあえずは木を掴めたことで安心しました。
あとは近くを通る船を見つけて助けを乞うしかありません。

しかし、なかなか船は通りませんでした。

夜のうちに船が近くを通ったのは22時と24時の二回。
救命胴衣に付いていた笛を吹き、デジカメの画面の部分をライトがわりにして必死に相手に向かって振りました。
オラー!アミーゴ!ヘルプミー!言うて。

しかし全く相手が気づく様子はなく二度とも船は通りすぎていきました。
そしてまた、立木と自分だけが暗闇の中に取り残されるのです。

この夜は本当に長かった。あまりにも長い時間でした。
ぼくの今までの32年間全てよりもこの立木にしがみついている時間のほうが感覚的に長かった。真剣にそう思っています。

朝にならなければライトを失った自分は周りに気づいてもらいようがありません。朝まで木にしがみつき続けようとするんですけど、とにかくその朝が来ないのです。
30分くらい経ったやろうと時計を見てもまだ5分も経ってなくって幾度も愕然としました。

しかも木にしがみつき続けるだけでもきついのに蚊が容赦なくぼくの身体を刺しにやってきてかゆくて仕方ありません。一度なんかは鳥が頭にとまりました。

立木に当たる水の流れが轟々と音を立て、周りのジャングルからは様々な動物の鳴き声が聞こえます。そんなたくさんの音の中から船のエンジン音が聞こえやしないかと耳をそばだてます。身体を同じ体勢にしていると辛いので少しずつ姿勢を変えてみます。足元では多くの肉食魚がいるというアマゾン川が不気味に黒く笑っているようでした。

わざわざ日本から危険なことをするために地球の裏側まで出てきて、必死に木にしがみついている今の愚かな自分を思うと情けなくて悲しくて、空を見上げるとアマゾンの夜空が綺麗すぎて素敵すぎて。


長い時間をぼくはいろいろな考え事をして過ごしました。

例えば今年の春に亡くした友人のイクオくんのこと。

山で遭難し冷たい姿で発見された彼も、今ぼくがこうして木にしがみついているように寒い寒い冬山で助けを待ち続けたんやろうなと思います。

救助を待ったまま、結果彼は亡くなりました。
救助を待ったまま、結果自分はどうなるんやろか。

このまま死ぬんかな、生きるんかな。
死体が残らへん死に方は嫌やな、オカンも親父もどこに墓参りしたらいいんかわからへんもんな、家族とか友達に死ぬ前にありがとうて言うときたかったな、帰ったら言おう、うんそうしよう、ほな生きて帰らなあかんな、もうちょい頑張ってしがみつこう、もうそんな力残ってへんけどな、今日風強くてオールを全力で漕ぎまくったからなあ、腕パンパンやねんほんま、あとこのまま死んだらノーパンやしめっちゃかっこ悪いな、今日は乾いたパンツ無かったからノーパンなだけやのに死体がノーパンやと「こいつ年中ノーパンのやつやな、気持ちわる」て思われてまうやんか、そらあかんわ、気持ちわるて思われて死ぬなんてめっちゃ嫌やんか、死ぬ時はパンツだけは綺麗なやつ履いてたいってそういや誰か言うてたなあ。

いろいろと思いを巡らせているとこの危機的状況が自分にとってとても大切な瞬間に思えてきて、その時間をどうしても今後忘れたくなくってデジカメで木にへばりつく自分の写真を撮ったりしました。ナイフを取り出し立木の皮を剥いで食べてみたりしました。

身体ん中にこの木を入れとこうと思ったからです。


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朝五時頃になり少しずつ空が白んできました。

明るくなってから三度ほど船に無視されましたけど、朝7時頃に貨物船に助けてもらうことができました。

木にしがみついてから12時間が経過していました。

ぼくを木から抱え上げて助けてくれた船員にグラシアス、ムチャスグラシアス言うて枯らした声でお礼を言いました。

今までぼくが経験してきたどんなゴールもこの時の救出劇の感動に勝るものはありませんでした。それはあんまり知りたくなかった現実なんやけど。

船に乗ると船員が新しい着替えを用意してくれました。新しいパンツを出してくれました。
パンツを握りしめ、これでいつでも死ねるなとぼくが思ったことは言うまでもありません。


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そしてそこから船で二日かけてプカルパに到着しました。


とても長くなったけどそんなことがあってイカダを失いました。イカダ下りに必要なほとんどの装備も失いました。

けど、また生きてられた。まだ死なへんかった。

またこうしてプカルパでうまい飯を食えてることがめちゃめちゃ嬉しい。
嬉しくてしゃあないです。


2012.11.19 (Mon) 01:25
プカルパ着


プカルパやー、やっと着いたー。

てことでプカルパに戻って参りました。

貨物船に乗って。


ちょっといろいろ大変やったんで説明すると長くなるので手短かに。
イカダを失いました。その他装備もほとんど失いました。

けどゆうてもぼくにはパスポートがあるしクレジットカードもあるしアイフォンだってある。なにより今こうして生きて再びプカルパに来られたことがなによりも嬉しいです。

生きてるって最高や。たまらん。
明日サッカー観に行こ。





2012.11.18 (Sun) 23:02
イカダ完成


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結果的に当初希望してた物とは全く違うイカダの完成。

せめて小屋の入口の前方部分だけはアントニオ夫婦の思い通りに作らせるわけにはいかなかったのでアントニオには泣いてもらいました。

イカダ完成時にはボーナスを出す約束でイカダ製作を頼んだ甲斐があったのかアントニオは最後まで手を抜かずに本当によくやってくれました。
頼んでないのに鍵付きのドアまで付けてくれました。これでイカダ放置して気軽に岸沿いの村まで買い出しに行けます。おっぱいに会える。

本来はもっと重心低くてタフそうなイカダをお願いしてたんやけど、てか小屋部分の四方にスペースを作ってもらう予定やったんやけど、もうそれは過ぎたこと。

これはこれでじつに素晴らしいイカダ生活ができそうな予感。ハックルベリーフィン気分。


てことで買うつもりのなかったハンモックと短波ラジオを急遽購入。

鼻歌でも歌いながらまずはプカルパを目指します。




2012.11.11 (Sun) 10:01
うそやん


三面図まで渡してあれだけ説明したイカダと全く違うイカダを作ろうとしているこの夫婦を誰か叱ってください。

イカダの端ぎりぎりまで小屋建てたらあかんやろ。それは絶対あかんやろ。






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2012.11.10 (Sat) 22:31
よしよし

連日のスコールでタンボ川(アマゾン川)の水位が50cmほど上がって川幅も少し広くなった。

アマゾンはこれから本格的な雨季。
じつに素晴らしい。

アントニオ夫婦にお願いしたイカダも順調に土台が完成。





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2012.11.09 (Fri) 05:38
アタラヤ三日目


アマゾン上流の村アタラヤ。

アタラヤに到着した日は一泊10ソル(300円)の風呂なしトイレ共同の安い部屋に宿泊してたんやけど、その日の晩から強烈な下痢が続いてしまい、屋外にある共同トイレを独占、結果蚊に刺されまくることとなりました。おしりかゆい。

翌日も下痢のおさまる気配が全く見えず暑くて風呂入らなやってられへんこともあったので、二日目からは風呂トイレ付の20ソル(600円)の部屋に移動。

しかし扇風機やテレビまで付いてるデラックススイートルームで快適なアタラヤライフを満喫するはずが、晩になると謎の羽虫が身体の上にぽとぽとと大量に落ちてくるもんやからたまりません。身体にぴたっと落ちてこられると蚊と間違えて反射的に殺してしまうのです。
2センチくらいのでっかい羽虫を殺してしまう時は洒落になりません。ぼくの身体の上で羽がちぎれてぐちゃぐちゃになった羽虫が、あかん気持ち悪くなってきた。


そんなことはさておき、とうとうイカダを作ってくれそうな人を発見しました。


船大工のアントニオ。


プカルパに比べてアタラヤに停泊してる船は鉄船ばっかりでイカダ入手できるかかなり不安やったんですけど、村の奥まで行けばちゃんと木造の船を作ってる人がいました。

アントニオにイカダを作ってほしい旨を伝えるととりあえず後で電話をくれるそうです。
他のペルー人とのおしゃべりそっちのけで真面目に奥さんと船を作っていた働き者。

宿の隣にある電気屋の主人のマウロがぼくのイカダ作りの行く末をとても心配してたんで、帰ったら良い報告ができそうです。

2012.11.06 (Tue) 05:29
どこやねん(アタラヤ村)

さてさてさて。

リマに戻ってきております。ほんで明日からアマゾン川に向かいます。

結局アマゾン川のスタート地点は、アタラヤ村(どこやねん)というところから始めることにしました。

プカルパから船で四日もかかるというどうしようもない田舎。

ジャングルの真ん中にぽつんとある村で、周りの村とアタラヤ村(どこやねん)を繋ぐ道路がありません。いわゆる陸の孤島とかいうやつです。

もっと上流も調べたんですけど、この村から先はアンデス山脈の裾野に引っかかってくるんでイカダ下りの限界はおそらくこの辺り。

アタラヤ村ってどんなとこなんやろ、女性はみんなおっぱい出してんのかな、てかそもそもアタラヤ村ってどこにあんねん、などと不安に思っていた昨日、偶然にもアタラヤ村まで行って船外機関連の仕事を終えてきた出張中の日本人サラリーマンとの奇跡的な出会いがありまして、アタラヤ村の情報を手に入れることができました。
本当にありがたいことです。

こんなわけのわからんアマゾンの奥地にまで出張に来てる日本のサラリーマンにみんな感謝しよう。
ありがとう、山川さん。ありがとう、ニッポンのサラリーマン。

アタラヤ村の人がとても優しかったというので安心しました。可愛い女の子が多かったそうなんで安心しました。

しかし、おっぱいは出してないようです。

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2012.10.30 (Tue) 13:30
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